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言葉

「俺ののものは俺のもの

お前のものも俺のもの」

 

これは、だれもがご存知、ジャイアンのセリフだ。

 

のび太が持っている、漫画やおもちゃを奪い取る時に、よく放つセリフだ。

確かに、ジャイアンは、のび太のものを奪い取るためという悪い意味で、この言葉を使っている。

 

しかし、わたしはそれだけだとは思わないのだ。

こう考えたらどうだろう。

「俺の幸せは俺のもの

お前の幸せも俺のもの」

だとか、

「俺の悲しみは俺のもの

お前の悲しみも俺のもの」

 

どちらも、〝もの〟という単語を、具体的なものに置き換えただけ。それなのに、それだけでだいぶ違ってくる。

つまり何事も、言い方だとか、捉え方で変わってくるのだ。

 

たとえば、人に何かを頼む時、上から目線で言ったとしたら、やってくれるだろうか。

よっぽど優しい人ではない限り、みなやりたくなくなるだろう。

 

それだけではない。

人が日常的に使う〝頑張れ〟という言葉。

多くの人が、『頑張って欲しい』という、応援の言葉だと取るだろうが、『まだまだ頑張りが足りないのだからちゃんとやって』とも取れる。

 

そう考えると、言葉は難しいなと思って、言葉を発することにも不安を感じ、ストレスを感じてしまうかもしれない。

 

でも、言葉がないとつまらない。

言葉があるから、数学の問題ができ、

言葉があるから、社会の歴史を学べ、

言葉があるから、音楽が生まれる

つまり言葉がないと、なにもなくなり面白くない。

 

そう考えたら、昔の言葉が全くなかった時代には、どのようにして生きていたのか、とても気になる。

世界史の勉強をしていて、初めて言葉ができた時を知って、その時はなにも感じなかったが、今思えばすごい文明だ。

 

しかし、今でも言葉は発達しているのであって、日々新しい言葉が生まれている。

今と50年前では、使っている言葉が大きく違っているだろう。

そう思うと、これから50年後の言葉が楽しみだ。もしかして、ロボットしか話していなかったり…?

 

言葉に隠された可能性は無限だな。

心の空

ふと、窓の外を見た。

少し曇っているガラスの先には、2つに分かれている空が見えた。

 

明るい空と暗い空。

 

雲によって分けられていた目の前の世界は、たくさんのことを私に考えさせたような気がした。

 

 

高校2年生になった私は、進路のことや、親とのことなど、悩むことが多くなった。

 

悩んで心の中が暗くなったり、友達とバカな話をして笑って心の中が明るくなったり。

さっき見た空のように、きっぱり分かれているならまだしも、様々な感情が入り乱れている私の心は、そううまくいかない。

 

でも、どこか似ているような気がした。

 

人の心は天気のようだ、とよく思う。

雨になったり、晴れになったり。

時には嵐が巻き起こるかもしれないし、灼熱の炎が燃え上がるかのように熱くなるかもしれない。

 

きっと、さっき感じた何かは、これと関連があるのだろう。

 

人はみな、心の中に空を持っている。

みんながみんな違うもので、決して同じものはない。

そして、全く同じ天候になることもない。

 

「みんなちがってみんないい」

 

これは金子みすゞの名言。

世間の荒波にもまれながら、天気を大きく変化させながら、人は生きている。

 

 

私の空も、あの日見た空のように、たくさんのものがはっきり分かれて、気持ちの整理ができたらいいのに。

 

 

 

フレッシュさ

 

今日は、入学式や始業式を終え、新学年になって初めて、生徒が揃って登校する日だった。

 

私は、普段自転車通学であるが、今日は雨だったため、バスで登校した。

 

去年度となんらわからない私は、今までと同じようにバスに乗ろうとバス停へ向かうと、たくさんの制服を着た高校生が、まだかまだかとバスを待っていた。

 

しばらくするとバスがやってくる。真新しい制服を着た学生が、「これであってるよね?」「そうそう!多分これだと思うんだけど…」などと言いながら、バスに吸い込まれていく。

そのような様子を見て、あ〜可愛らしいなと思うと同時に、バスを乗ることになんの感動も覚えない、自分の老いを感じずにいられなかった。

 

私もこのようなドキドキを感じたのは、何年前だろうか、と考えながらバスに乗る。

すると、あまりにもの人の多さに、酔いそうになる。しかし、そんな中でもほのかに香る、制服の新しい匂いが、春を感じさせた。

 

たくさんの人にもまれながら、バスに乗っていると、近くに立っていた新入生らしい学生の会話が聞こえてきた。

 

「バス停まであとなんこかな?」

「えっ、3つくらい??待って調べるね!」

「ありがと!時間大丈夫かなぁ〜、心配!」

「あと5つだって!時間心配だよね〜!」

 

何十回と同じことを繰り返している私にとって、バス停があといくつだとか、時間が大丈夫かとか、感覚でしかなくなっている。

ましてや、同じことを繰り返す毎朝に、憂鬱さを感じ始めていたところだ。

 

しかし、今日は周りの初々しい学生たちが放つフレッシュさを感じ、自分の通学風景が潤った気がした。

 

誰かが言っていた。

同じことの繰り返しでも、新しい発見は生まれる。

 

今まで見慣れた風景も、見方によっては新しい発見が見つかるのではないだろうか。

そのように考えてると、この世界はいつでもどこでも面白い。

 

 

 

出会いと別れ

桜が満開になる時期を迎えたこの頃、

私は無気力になる日が多い。
それは花粉症であるせいかもしれないが、
なにか心のどこか、ぽっこり穴が開いてしまったような気がする。

 

私は、先月である先生とお別れした。
その先生は、中学の時の部活の顧問の先生で、
中学時代、1番お世話になった先生だ。
高校に入ってからも、たくさん気にかけていただいていた。
愚痴を聞いてもらったり、家族にも言えないような相談にのってもらったり…


きっとその先生がいなかったら、今の私はいないだろう。

 

そんな大好きで大事な先生が、離任されることが決まった。


今までは出身中学に遊びに行けば会えたが、これからはそういう訳にはいかない。

 

そこで、年度末、私はささやかなプレゼントを持って、最後のあいさつに行った。
その先生は、自分と別れを惜しんでいるのか、目に涙を浮かべていた。
私はそんな先生を目前にして、言葉を失った。
ほんとに会えなくなるんだなと。
まるでその目にたまった涙がそれを物語っているようだったから。

 

この時私は、人は悲しみの許容範囲を超えると、涙も言葉も出てこないんだろうと感じた。

 

でも、今よくよく考えると、違うのかもしれない。

 

〝世界は広いようで狭い〟とよく耳にする。


私もそう思う。だって、世界はまるいのだから。
円は一周回って、スタート地点に戻る。

 

だからまたどこかで、出会えるのではないかと心のどこかでは思っていたのだろう。

 

それに気づくことができたのだから、明日からまたどこかで出会えることを楽しみに前に進もう。


そして、明日、初めて出会う新しい仲間に胸を膨らませて、学校に行こう。

 

 

春は素敵な季節だ。